AIを使うようになってから、ものを作るスピードがものすごく速くなった。
アイデアを思いついたら、壁打ちをして、仕様を考えて、プロトタイプを作る。
少し前なら「これ、自分に作れるかな」と考えていたようなものでも、とりあえず形にして触ってみるところまで持っていける。
最近は複数のWebアプリを並行して作りながら、その制作背景の記事を書いたり、アクセスデータを集計・分析したり、それ自体を自動化したりもしている。
一人なのに、やっていることだけ見ると小さなスタジオみたいになってきた。
でも、作れるものが増えれば増えるほど、逆に考えることも増えた。
こんなにぽんぽん作って、インターネットにゴミを増やしてない?
ということだ。
AIで「作れるかどうか」の壁が低くなった今、個人開発で差がつくのはどこなんだろう。
今のところ自分は、実装そのものよりも、
何を作るか。
何をつまらないと感じるか。
何を入れないか。
そして、何を作りたいと思うか。
そんな「選ぶところ」に、作る人自身が出るようになったんじゃないかと思っている。
この記事では、実際にAIと一緒にWebアプリを作り続ける中で感じたことを書いてみたい。
AIで個人開発の「作るハードル」は大きく下がった
以前、ブログを運営してGoogle AdSenseで副収入を得ていた時期がある。
その頃はWordPressでサイトを作っていた。
今振り返ると、ちょっとしたカスタマイズひとつでも結構大変だった。
「ここを少し変えたい」と思ったら検索して、コードを調べて、試して、うまくいかなくて、また調べる。
検索しても答えが分からないこともある。
そもそも、何を検索すればいいのか分からないことすらあった。
作りたいものについて考えている時間より、作るための方法を調べている時間の方が長いことも珍しくなかった。
今はずいぶん違う。
AIに「こういうものを作りたい」と話すと、一緒に仕様を考えられる。
実装について分からないことがあれば聞ける。
そして、そのまま形にしていくこともできる。
昔は頭の中にアイデアがあっても、技術の壁に阻まれて消えていったものがたくさんあった。
今は「じゃあ、一回作ってみよう」ができる。
自分にとって、これはかなり大きな変化だった。
「作れる」と「作る価値がある」は別だった
一方で、作るコストが下がったことで、新しい迷いも生まれた。
AIを使えば、思いついたものをどんどん形にできる。
それ自体は楽しい。
でも、公開ボタンを押す前にふと考える。
これ、本当にインターネットに出す意味ある?
作れるから作っただけのものを、世界に増やしていないだろうか。
AIによって「作れるかどうか」というフィルターは、以前よりずっと薄くなった。
だからこそ今度は、
何を作るのか。
なぜ作るのか。
を、自分で決めなくてはいけなくなったのだと思う。
自分の場合、今のところ一番分かりやすい基準は、
自分が使いたいかどうか。
だ。
今作っているものは、基本的に全部、自分が欲しくて作っている。
誰かに「こういう市場が伸びています」と言われたからではなく、
「これ、あったら自分が使うのにな」
から始まる。
たとえば「ふたひび。」もそうだった。
自分自身が欲しかったものを、自分で使うために形にした。
自分のために作る。でも、自分だけのためだとは思っていない
もちろん、自分が欲しいだけなら、公開せず自分だけで使ってもいい。
それでも公開しているのは、自分がN=1だからだ。
N=1ではある。でも、世界でN=1だとは思っていない。
自分が「これ欲しいな」と感じたなら、世界のどこかには同じように感じている人がいるかもしれない。
その人が偶然見つけて使ってくれたら、
「おー、お揃いだね」
くらいの気持ちになる。
それで十分なのかもしれない。
AIで機能を足せるからこそ、何を足さないか
AIを使った開発では、機能を追加することも以前よりずっと簡単だ。
「こんな機能も付けよう」
と思えば、ある程度のものはすぐ作れる。
だからこそ最近は、何を足すかより、何を足さないかを考えることが増えた。
自分の中には、大きく二つの基準がある。
ひとつは、そのアプリの思想に反していないか。
もうひとつは、ユーザーにとって邪魔にならないか。
たとえば「つなつむ。」は、人との小さなやりとりを記録するアプリだ。
誰かにご飯をごちそうしてもらった。
相談に乗ってもらった。
送ってもらった。
ちょっと手伝った。
そういう出来事を残して、人とのつながりを眺められるようにしている。
ここに、人間関係を評価する点数やランキングを入れることも、技術的にはできる。
でも、入れなかった。
それを入れた瞬間、自分が作りたいものとは違う方向へ進む気がしたからだ。
「ツカエゴ」という英語学習アプリでも似たことがあった。
学習アプリには、連続学習日数や通知、記録を途切れさせたくない気持ちを使って、ユーザーを焦らせる仕組みがよくある。
それは継続には効果があるのかもしれない。
でも、自分が作りたかったのは、焦りながら続ける学習ではなかった。
だから削った。
AIは「この機能をどう作るか」については、かなり助けてくれる。
でも、
そもそも、その機能を作っていいのか。
これは作る側が決めることになる。
作ってみたら「めっちゃつまらんやん」だった
とはいえ、自分の場合、最初から立派な設計思想を掲げて作り始めているわけでもない。
むしろ、作りながら気づくことの方が多い。
「んー、なんか違う方向に行ってるな」
となる。
特に印象に残っているのが、ツカエゴやCTOCENDのプロトタイプを作ったときだった。
実際に触ってみて、
「なにこれ、めっちゃつまらんやん」
となった。
頭の中では、それなりに面白そうだった。
仕様として読んでも成立していた。
でも、触ったらつまらない。
こういうことは結構ある。
そこで「せっかく作ったから」とそのまま進めるのではなく、
なぜつまらないのか。
何がつまらないのか。
を一度分解する。
そして、
じゃあ、何なら楽しいのか。
を考える。
そのときもAIと壁打ちする。
別の案を出してもらったり、原因を一緒に考えたりする。
AIの案が違う方向へ行ったら、「違うよ」と戻す。
その繰り返しだ。
AIに正解を決めてもらっている感覚はあまりない。
どちらかというと、
考えるための相手が常に隣にいる
という方が近い。
AIの価値は「早く完成する」だけじゃない
こうして考えてみると、AIによって開発が速くなったことの価値は、「完成までの時間が短くなった」だけではない気がしている。
むしろ、
つまらないものを、早くつまらないと確認できるようになった。
ことの方が大きいかもしれない。
以前なら、プロトタイプを作るだけでもかなり時間がかかった。
だから頭の中で、
「これ面白いかな」
「たぶんいけるかな」
と考え続けるしかないこともあった。
今は違う。
一回作る。
触る。
「あ、つまらない」
じゃあ壊す。
そしてまた作る。
失敗するコストが下がったことで、完成品を量産できるようになったというより、試行錯誤をたくさんできるようになった。
これは、AIを使ってものを作る中でかなり面白い変化だと思う。
AIと作るようになって、一人でできることが増えた
開発が速くなったら、暇になるのかと思っていた。
全然そんなことはなかった。
アプリを作る。
別のアプリも作る。
記事を書く。
公開する。
数字を見る。
アクセスを分析する。
その集計を自動化する。
UIを直す。
スマートフォンで触って違和感を探す。
プライバシーや法的な問題も確認する。
気づけば、昔よりいろいろやっている。
AIによって一つひとつの作業は速くなった。
その結果、一人で扱える範囲そのものが広がった。
以前なら「エンジニア」「デザイナー」「編集者」「マーケター」みたいに分かれていた仕事の一部を、一人でも横断できるようになってきた。
自分自身、「アプリを作る人」と言われても少し違う気がする。
感覚としてはもっと単純で、
自分が欲しいものを作っている。
それだけなのだと思う。
誰でもアプリを作れる時代、個人開発は何で差がつくのか
これからAIはもっと進化すると思う。
そのうち「こういうアプリが欲しい」と言うだけで、数分後にはかなり完成度の高いものができるようになるかもしれない。
そうなったら、実装できること自体には、今ほど大きな価値はなくなる。
では何で差がつくのだろう。
今の自分は、
その人が何に違和感を持つか
なのかもしれないと思っている。
何を面白いと思うのか。
何をつまらないと思うのか。
どの機能を邪魔だと思うのか。
何を入れないと決めるのか。
どんなものを「自分も欲しい」と感じるのか。
同じAIを使って、同じ技術を使ったとしても、そこは人によって違う。
AIができることが増えるほど、逆に作る人自身の選択が見えやすくなる。
それでも、作るのは楽しい
もし将来、本当に誰でも簡単にアプリを作れるようになったとしても、自分はたぶん作り続けると思う。
元々、何かを作ること自体が好きだからだ。
クリエイター気質だと思っているし、できることならアーティストでもありたい。
作りたいものがあって、それを形にする。
そして誰かが使って、
「あ、これ痒いところに手が届いた」
と思ってくれる。
それくらいがちょうどいい。
AIによって、ものを作る入口はものすごく広くなった。
だからこそ、これから大切になるのは「作れるか」ではなく、
何を作りたいと思ったのか。
なのかもしれない。
自分のために作る。
でも、自分だけのためだとは思っていない。
今日もまた、そんなものをひとつ作っている。
